葬儀相談コラム


第97回 南無阿弥陀仏



南無阿弥陀仏  ■97-1 阿弥陀仏
 皆さん、お経や仏像などで見聞きすることがある「阿弥陀(あみだ)」の意味をご存知でしょうか。阿弥陀とは、西方浄土に住み、すべての人間を救おうという誓いを立てている仏様のことを言います。阿弥陀仏、阿弥陀如来などもご存じのことと思います。ちなみに、阿弥陀仏は一体または一尊と数えるそうです。
 南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)は、浄土宗や浄土真宗で阿弥陀仏に帰依する気持ちを表して唱える言葉です。帰依とは、仏の教えを絶対的なものだと信じて全面的に頼ること。南無(なむ)とは、仏や菩薩にすべてを任せ、すがる気持ちを表す言葉。拝むときに唱えます。
 南無阿弥陀仏は梵語です。梵語とは古代インドのサンスクリットと呼ばれる言葉で、日本には仏教とともに伝来しました。南無阿弥陀仏のほかには僧、卒塔婆(そとば)、旦那(だんな)など、現在も使われる言葉があります。
 南無阿弥陀仏の「南無」はもともと、サンスクリットで「屈する」という意味を持つ「ナマス」という言葉でした。中国語では帰依、帰順、帰命と訳されるそうです。心から信じる、従うという意味となります。
 「阿弥陀」は「アミダーバ」が元になります。限りない命、果てしない光を表します。「仏」は、ブッダ(仏陀)というサンスクリットの仏陀で師匠の意味から転じて「悟りを開いた者」として使われるようになりました。つまり「南無阿弥陀仏」とは、限りない命や果てしない光を発する悟りを開いた者に対し心を許すこと、と解することができます。
 浄土宗、浄土真宗は「南無阿弥陀仏」と呼びますが、曹洞宗や臨済宗の禅宗では「南無釈迦尼仏」と呼びます。真言宗は「南無大師遍照金剛」、日蓮宗は「南無妙法蓮華経」です。





■97-2 梵語から漢文、和讃へ
 お経は言うまでもなく仏の教えを記した書物のこと。もともとお釈迦様の教えは、人と人との間を口伝で伝えられてきました。これが後世になって文字として残されたものがお経となり、誰にでも読めるようになったことから、仏教が広く普及するようになりました。
 お経を分類すると「陀羅尼(だらに)」「漢文」「和讃(わさん)」があります。「陀羅尼」は善法を保って悪法をさえぎる力のことを意味し、呪文のように唱える経文のことです。サンスクリットそのものですのでそのままでは意味は分かりません。ただの抑揚のある音のつながりです。般若心経の終わりの部分に登場する「掲諦掲諦(ぎゃーてーぎゃーてー)」「波羅掲諦(はらぎゃーてー)」「波羅僧掲諦(はらそーぎゃーてー)」は「陀羅尼」に当たります。
 インドから伝わった経典が漢文になると、「不生不滅(ふーしょうふーめつ)」「不垢不浄(ふーくーふーじょう)」「不増不減(ふーぞうふーげん)」となります。音としては意味はわかりませんが、漢字になると少しは意味がわかるようになりす。
 経文を日本語訳したものが「和讃」です。ちなみに浄土真宗の親鸞は、『浄土和讃』『高僧和讃』『正像末和讃』をまとめて『三帖和讃』を残しています。「阿弥陀如来化してこそ本師源空としめしけれ化縁すでにつきぬれば浄土にかへりたまひにき」などが和讃の例です。





■97-3 読経
 通常、葬儀における読経では、僧侶は手元に読経本を置いていますが、何も見ないでお経をあげることができます。お経を暗記するだけでなくその意味も理解していますから、あとでお経の意味を訊けば親切に教えてくれることもあります。
 読経は会葬者の人数、すなわち焼香にかかる時間にもよりますが、30分から1時間程度かかります。通常は、事前に会葬者の人数を考慮して、僧侶が臨機応変に読経の時間を調節しているようです。仏教宗派によって読経の中身も異なります。法事の際はせっかくの機会ですから、僧侶にお経の意味を訊いてみてはいかがでしょうか。ありがたい講話を聞くことができるかもしれません。





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